一花一葉

アクセスカウンタ

zoom RSS 山中湖・文学の森・その3(徳富蘇峰館他)

<<   作成日時 : 2006/09/27 19:08   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 12

画像
        <徳富蘇峰館入り口・2006/9/21撮影>

山中湖文学の森にある三島由紀夫文学館を早めに出て少し池の辺を巡り、植物散策をした。見慣れた葉っぱがあって花が付いている。他の方のブログで見知った花だが「イタドリ」であったが、アップの画像を見てみたら花後の種のようでもある。そして小川の向かい側から花期が終わりかけて垂れている植物は「ヤブマオ」のようで、これも最近名前を覚えたばかりだ。

                       <イタドリ>
画像

画像

                    <ヤブマオ>
画像

30分ぐらい一人小川の辺を散策したのち、また次の徳富蘇峰館へと入って行った。
この日は私達の会のメンバーしか訪れる人も無く、館内は随分とひっそりとしている。
館内のエントランスホールには、着物姿の蘇峰老翁の絵が掛けられおり、その優しい眼差しは館内を和ませているようだ。先ほど見た三島由紀夫の憂いと苦悩に満ちた哲学的顔と違い、老翁の顔は随分と穏やかだ。

画像

元々この文学の森近くに徳富蘇峰が双宜荘と言う別荘を建てており、昭和7年から昭和20年まで、毎夏、この別荘で執筆活動を続けていた。山中湖の旭日丘や報湖祭の名付け親でもあると書いてある。この山中湖の自然を愛し、雄大な富士山を眺めながら執筆活動をした蘇峰は、この文学の森公園内の建物の主に相応しい人物のようでもある。平成10年に此処に徳富蘇峰館が開館し、その1年後に三島由紀夫館が開館している。

『徳富蘇峰は1863年(文久3年)、熊本生まれで幼少より私塾で漢学を学び、同志社へ入学。20代で民友社や国民新聞を創立し、明治中期における言論活動の指導的立場の一人で、信念と忍耐の人で、ライフワークでもあった「近世日本国民史」全百巻を35年の歳月を費やし、90歳の時完成させた。小説家・徳富蘆花は彼の弟である。』とパンフレットにある。

画像
        <石文字・「千秋」 「万歳」81才書>

館内には蘇峰の直筆原稿、掛け軸他関連資料や、ジャーナリストとして広い交友関係者など、他の資料も展示してある。
目についたのは、自身が使用していた色々な形の手作りの杖50本が館内に飾られていて、他随分と達筆な直筆の書がたくさんある。展示として別荘、双宜荘の書斎が再現されているが、壁には漢詩が墨筆で書かれており、本箱や机も随分と質素なものである。

そしてこの蘇峰館建物の入り口には大きな石が2対あり、「千秋」、「万歳」の文字は81歳の時の老翁が書いたものを刻んである。蘇峰は明治・大正・昭和と3つの時代を忙しく生き抜き、昭和32年95歳で生を閉じている。
山中湖文学の森・徳富蘇峰館
徳富蘇峰

                    <ヒメシャラ>
画像

画像

画像

館内の15分のビデオと展示を見たのち、また一人先に建物近くを散策して植物を見てみる。建物入り口近くには、赤い肌がつるつるして樹形が美しいヒメシャラがあり、他に高く聳える杉の木々には苔や羊歯植物が寄生している。

                  <文学の小径へ>
画像

人気のない「文学の小径」と書かれた森の中に一人先に入っていくと小鳥の声がして、ヤマハギの花がちらほら咲き残り、花の終わりを告げようとしている。そしてギボウシに似た葉のウバユリであろうか、花後の大きな丸い種が付いている。

画像
         <富安風生句碑>

「安波安波(あわあわ)と冨士容(かたち)あり炎天下」(富安風生)

「女とは母とハ安産まつりかな」(富安風生)

小径を進むと座りの良い巨石の句碑に幾つか遭い、ひとり読みながら散策するのも楽しい。大きな羊歯も青々と繁っていて、植物には名前を書いたプレートが立ててある。だが、珍しい山野草の名前の植物は盗掘にでもあったのか姿が見えない。

画像

更に進むと、2メートル近くもあるような真っ白い花穂を幾つもつけた植物が1本森の中に現れた。初めて見る植物で、近くに寄って見ると白い花穂は甘く良い匂いがして虫が付いている。この植物は一体何だろうか、若しかしてこれはサラシナショウマでは?と思うが、高さ数十センチだと記憶していたので、こんなお化けサラシナショウマはあるのだろうか?と考え込んでしまった。似たような花にイヌショウマと言うのもあるようだが?

「夕ぐれの三ヶ月の海雲しづみ胸しづまりぬ妹に遭ひし夜は」(伊藤左千夫)

           <サラシナショウマ(晒菜升麻)?>
画像

画像


「文学の森の山陰抜きん出て白き花穂の晒菜升麻か」

「山路来て晒菜升麻か丈高く白き花穂の甘き香の立つ」

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
山野草は、もう二十年も前に母親が夢中になっていた時期がありました。その頃、帰省のたびに山野草の写真をとって伸ばした記憶があります。その頃は、写真を撮る係りって感じでお花の名前は覚えませんでした。あまりの世話のエネルギーに母親も自然に任せるような感じです。徳富蘆花も蘇峰も遠い昔の感じがしていましたが、昭和までご生存だったんですね。いつもそんな風に短歌が出るのがすごいなあと思います。伊藤左千夫・・・あーあすごい。
hanahhana1952
2006/09/27 21:07
すごいサラシナショウマですね、このまえ私が見たのは背の高いもので腰の高さに満たない位でしたし、野草で先端に花穂をつけていました、ここのものは良く分からない所もありますが、樹木のように見えますし、最後の拡大画像では花の付き方も少し違うようにも見えます、原画でご検討いただけたらと思います、失礼な言い方になってしまいましたお許しください。
OSAMI
2006/09/27 21:37
サラシナショウマは初めてです。イタドリは実になっていますね。実の方が花よりも大きくて綺麗かもしれません。山野草を見るには時期的に遅かったかも知れませんね。
紀行文、立派ですね。私の山行もこの様な紀行文に纏めればよいのですが、なかなか出来ません。写真の陳列に止まってしまいます。
デコウォーカ
2006/09/27 22:22
hanahhana1952さん、こんばんは。コメント有難うございます。やはりお母さまも山野草をたくさん育ててらっしゃったのですね。そして其れを見て育ってらっしゃって、今hanahhana1952さんもお母さまに負けないくらいのお花好きでらっしゃいますね。しかも全部種から育ててらっしゃって、流石ですね〜。
ほんと植物の世話はエネルギーが入りますよね。でもお花を咲かす喜びは慰め癒し元気が貰えて良い事ですよね。
蘇峰も蘆花も昭和まで生きていたのですよね。私もこれを調べてへ〜〜でした。芦花公園は京王線の駅にあるのですが、二度位行った事がありますよ。
「夕ぐれの三ヶ月の海雲しづみ胸しづまりぬ妹に遭ひし夜は」
伊藤左千夫の歌は良いですよね。上の句の自然の景の中に、下の句で「胸しづまりぬ」と情を入れてますよね。こんな上手い詠い方が出来たら良いですよね。この頃短歌作られませんね。何でも良いですから31文字に作って続けることだと思いますよ〜。
hanahhana1952さんへ
2006/09/27 22:53
 一花さん、イタドリももう実になっているのですね。山は早いです。白いのも紅いのもあり、それぞれに綺麗なものです。
 僕も山中湖の別荘地で、サラシナショウマの群落を見たことがあるのですが、沢山咲くと見事ですよね。栄養の良いところでは、ずいぶんと伸びるものです。白いモールのような花が良いですよね。
 更科でも更級でもなく、晒菜というのも山菜ならではで面白いですよね。
なおさん
2006/09/27 22:56
OSAMIさん、こんばんは。コメント有難うございます。
サラシナショウマ、これは暗い山道を降りた小川の辺に1本だけあったのですよ。これを見た時はほんとにビックリでした。サラシナショウマって確か背丈が山野草として鉢で見た時30〜40pでしたよね。これはまるで白キツネノ尻尾みたいで、イヌショウマと言うのもありますよね。一体何でしょうね。
そして、他の場所のユキザサがある場所にもたくさん群れて白い花穂のものが咲いていました。それは腰丈位かそれよりちょっと高めでしたよ。明日また其れをアップしますね。何故これだけ此処に1本あったか不思議です。川べりで水分が多いとこんなに大きくなるものでしょうかね?今回此処だけでなく浅間神社に行く途中の山の中にも白い花穂が群れて咲いているのがバスから見えました。この辺りは自生地なのでしょうね。腰丈ぐらいでしたよ。 花の付き方が違う他のものでしょうか?さっぱり〜です。
OSAMI さんへ
2006/09/27 23:03
デコウォーカ さん、こんばんは。コメント有難うございます。
サラシナショウマはこの地にたくさん咲いておりましたよ。以前山野草の鉢として見たのですが、自然の自生地で見たのは今回初めてです。しかも川べりに1本これはあって丈が随分と高くまるで白狐の尻尾かと思いました?狐が化かしている感じで何故此処に1本あるのか不思議でした。私だけ先に出て、また単独行動で山野草探ししていたので、奥深く入って一人だけで道に迷ったかな〜と心配でした。でもお蔭でまだ他の場所で、また、サラシナショウマがたくさん群れ咲いている場所を写真に収めました。こんな調子で、吟行会なんて頭から抜けてました〜〜。明日は森の中から植物アップしますね。ヤブマオとイタドリは盛りが終わってましたが、まだひとつこれからのものもありラッキーでしたよ。紀行文、いい加減ですヨ。ネットで切ってさんと貼ってさんが多いです〜。
デコウォーカ さんへ
2006/09/27 23:18
三島由紀夫で思い出しました。確か明日28日はプライバシーデーです。日本でプライバシーが争点となった初めての裁判・・三島由紀夫の小説『宴のあと』がプライバシー侵害と問題になって。
山野草は見ているだけでうれしくなります。
ゆう
2006/09/27 23:23
なおさん こんばんは。コメント有難うござまいす。
こちらでイタドリの花を先日見かけたのですが、まだ種は出来ていませんでしたよ。山は高度的に高いから早いのでしょうかね?
サラシナショウマのこれは丈が随分と高いですが、似たようなものにイヌショウマと言うのもありますね。花の付き方、葉で見分けるようですが?丈はやはり水辺だから丈が高くなったのでしょうね。いぜん北海道の植物が何でもでっかかかったのですが、あれは雪解けの水分の所為だったのでしょうかね。それと夏場が短いので早く大きくなるとかでしたが。此処の場所の他にもサラシナショウマが群れ咲いてました。明日アップの予定です。浅間神社に行く途中の山の中にもたくさん白い穂が群れ咲いてましたよ。
なおさんへ
2006/09/27 23:29
ゆうさん、こんばんは。三島由紀夫、小説のことしか表面的に知らなくて今回調べて色々分り、今日ブログにまた追加して書きました。何せ植物だけが頭にあって、展示もいい加減でさっさと出てきたのですから〜。そうそうネットで調べたら確か裁判を起こしてとか書いてありましたね。裁判以降思想的にどうとか書いてありましたが。ゆうさんは何でもお詳しいですね。プライバシーデーってあったのですか?ちっとも知らなくて〜、また色々教えて下さいね〜。
ゆうさんへ
2006/09/27 23:40
蘇峰は確か山王(環七の近く、山下)に住んでいたと思います。従って馬込に住んでいた三島とは親交があったことでしょう。私が馬込に住んでいたころはすでに住宅街になっていましたが、かれら文学者が馬込文化村と読んだ時代はまだ麦畑の多い寒村であったかも知れません。もとろん環七が出来たのは昭和40年代、しかし蘇峰の寓居のあたりは30年代末期にはもう一部開通していてよく長女を乗せてスクーターで飛ばして走ったものです。蘇峰の敷地あとに
建てられたお客様の傾いた住まいを建て替えさせて頂いたたのは平成になってからです。多分池などもあって地盤が悪かったのでしょう。杭打ちしました。
目黒のおじいちゃん
2006/09/30 05:45
目黒のおじいちゃんこんばんは。こちらにもコメント有難うございます。
蘇峰も三島も馬込に住んでいて馬込文化村と呼んでいたのですか?良く判りませんが昭和40年代は高速道路も随分出来て来たのでしょうか?お互い有名人で親交があったのでしょうね。蘇峰は確か貴族議員もして戦後色々あったみたいですよね。蘇峰の敷地跡にあった住まいを、目黒のおじちゃんが建て替えなさってそれは奇遇ですね。池などがあって大きなお屋敷だったのでしょうね。池などがあるとやはり地盤が悪いのですね。昔の事を良く知っている方は余り知りませんので、貴重なお話で、色々思い出などお有りでしょうね。歴史の懐かしく興味あるお話有難うございました。
目黒のおじいちゃんへ
2006/10/01 00:08
山中湖・文学の森・その3(徳富蘇峰館他) 一花一葉/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる