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<聖ミカエル像> 函館の湯の川温泉街のホテルに泊まって旅の疲れを癒した翌日は、市内観光をすることにしていた。先ず、この湯の川に近い聖トラピスチヌ修道院へと急いだ。 函館電車・バス共通の1日乗車券を求めて出かけたが、電車は本数があるが、バスの便数が少ないようだった。修道院への案内マップにはこの湯の川からすぐ歩いて行けるように思えたが、とても歩ける距離でなくて、市電終着駅の湯の川電停からタクシーで向った。 整然とした小高い山頂に着くと其処は広い台地となっており、右手に大きな駐車場があった。すぐ近くには正面の門が広く開放されており、まるで庭園のような中庭が広々と中へと広がっており、ずっと奥の修道院の高い建物までは階段が続いていた。 入り口に入ると、聖ミカエルの像が立っていて、剣を抜き背中の天使の羽根の姿が神々しく、悪を許さぬかのように、またこの修道院の中守るかのように立っていた。(この一番下にミカエルの記事抜粋添付) <聖ミカエル像> 北海道と言うとトラピスト・クッキーの土産で有名なので、此処湯の川にある修道院がトラピスト修道院と思っていたが、此処はトラピスチヌ(ス)修道院名で女性の為の修道の場であり、正式名称は「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」であった。 また、トラピスト修道院は男性の為の修道院で、函館市にはなく北斗市上磯町三ツ石と言う所にあるようだ。正式名は「厳律シトー会灯台の聖母トラピスト大修道院」と言う。 <入り口から中庭> 『トラピスチヌ修道院の歴史は古く、1098年のフランスに遡り、ロベールがフランスのシトーの荒野に創立した修道会が始まりで、以後800年間、盛衰を繰り返してきた。日本には、この湯の川の他に神戸・西宮、福周・豊津、栃木・那須など次々と修道院が建造された。修道生活の戒律は厳しく、祈りと労働、奉仕と自給自足の生活が基本である』と言う。 昨日の函館山にも観光バスが何台も行き来して、韓国人が多かったが、今日も同じメンバーであろうか、韓国語を話しているバスツアー客が大勢押し寄せていたが、時間の制限があったのか、30分ぐらいで静かになった。今年6月にも富良野で韓国人ツワー客を見かけたが、此処北海道は異国の人にとっても魅力の場所のようだ。 随分と整然とした美しい庭園風の修道院で、観光化している風であり管理も心配したが、後で調べたら、修道院が生産するクッキーやバターを販売する店も、玄関周りの公園も、函館市が経営するようになっているなど、市の観光に重要な役割を果たしています。と書いてあった。 垣根には、花芯がやや薄桃に色付いた白い薔薇が開いており、やはり純粋無垢な修道女に相応しい色のようだった。もう盛りも少し過ぎようとしていた。 <垣根の薔薇> 階段左手横にある、ルルドの洞窟。これは、南フランスにある「ルルドの洞窟」に似せて造られたもので、洞窟近くに住んでいた少女の前に聖母マリアが現れ、その少女が聖母のお告げ通りに地面を手で掘り返すと、泉が湧き出し、その水によって多く病人が癒されたという物語が伝えら、祈りを捧げる少女と聖母マリアとの対面シーンであった。 ここの洞窟背後に植えられていた植物の中に、真っ赤に実のなったものがあり、ベニシタンで葉より実の赤が萌えていた。 <ルルドの洞窟の聖母マリアと祈りを捧げる少女> 階段を上る途中の土手に1本、ひとりでに生えてきたのであろうかノコンギクの花。こんな美しい庭園風の場所には似つかわしくない野菊のようだが、妙にこの1本の野の花が楚々として此処で美しく耀いて見えた。 <ノコンギク> 階段下から見上げる修道院建物入り口。丸く刈り込まれた大きな樹木がデンと控えていた。 <階段から> 階段を昇るにに連れて下を見下ろすと、整然とした下の庭園の様子が目に入ってくる。少し観光客も少なくなったようだ。 <階段から中庭を見下ろす> 途中の階段からは、昨日ロープウェーで昇った函館山や海が遠くに見えていた。 1898年カトリック修道会(シトー会)の伝道布教のため、明治の函館開港を機に湯の川にやってきた修道女8人。この函館港を望む場所に佇み、遥か遠くとなった母国を思う日々もあったことだろうか? <階段から中庭と遠く函館山を見下ろす> 階段を登りきると、何時建てられたのか比較的新しいレンガ造りの風格のある、どっしりとした建物が目の前に現れた。勿論庭木は美しい庭園と相俟って美観を添えており、丸く刈り込まれた大きな樹木が、見るからに人を寄せ付けないような硬い感じの建物にマッチして存在感があった。 <修道院> こちらの一般公開されている建物の外庭の騒々しさとは無縁に、隔てられた壁の向こうでは、現在も多くの修道女がひたすら神に仕え、戒律の厳しい、祈りと労働、奉仕と自給自足の修道の一日を送っておられるのであろうか? 「垣根には白い薔薇の開きおり修道院へと続く中庭」 「剣を抜き悪を許さぬ面差しのミカエル像が見下ろす中庭」 「壁高く隔たる北の修道院見上ぐる秋空果てなく蒼し」 「遠くには函館湾の海の青修道院の庭より望む」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <聖ミカエルに付いて、記事抜粋> 聖ミカエルは大天使の位に位置する、四大天使の1人であり、また神に最も近い場所に位置し、天使達を束ねる存在とされている。また、ミカエルは四元素の火、方位は東を司り、シンボルは抜き身の剣、秤。特性は知性、美徳は慎重を司る神として、東の方位にある日本へのキリスト教を広めた聖フランシスコ・ザビエルは聖ミカエルを日本の保護者と定めた。 『様々な絵画に凛々しい男性の姿で、立派な鎧に剣や秤を持った姿で描かれている。天使と堕天使の戦いにおいて、堕天使の長であるサタンを打ち倒し、地中深くに鎖で繋ぎ封印を施した天使として知られ、死んだ人間の魂を管理する役職も有り、手に持った秤で死者の魂を測り天国に行けるか否かを定める。最後の審判の日、ミカエルは死者達の弁護人になるとされる。アダム達人間を天使達に紹介したのも、楽園より追放する為の使者として現れたのもミカエルだった。また、追放の身と成ったアダムに作物の作り方を教えたのもミカエルである。 ミカエルという名前は、ヘブライ語で「誰が神の如き?(彼ほど神に近い者はいない)」である。 ミカエルは戦争と正義を司るところから外敵や危難、飢饉、疫病、災害などに襲われたときには、彼の名を呼ぶのが効果的です。毎年9月29日ごろに行われる「聖ミカエルの日」には、各地でミカエルにちなんだ大祭が行われる。彼に因んだ名前として、マイケル、ミシェル、ミハエル、そして彫刻家のミケランジェロも天使ミカエルにあやかった名前である。』とネット記事より。 <トラピスト記事抜粋> トラピストは、『ベネディクト修道会シトー派の戒律厳守派で、1664年、仏の宮廷司祭ランセがノルマンディー州ラートラップ修道院を改革したのに始まる。沈黙・祈祷・精進・労役の厳粛な戒律の下に労働・作業を行う。1896年(M・29)年日本に伝来した。』と広辞苑にある。トラピスト修道院はトラピスチヌス修道院より2年早く、日本で最初に作られた男子修道院だ。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
一花さん、流石に見返るような神々しさの像ですね。 |
なおさん 2006/11/08 23:53 |
今帰ったところです。一日のならわしで、今晩は(笑)バタークッキー?あめ?で有名なところですね。整然とした庭にノコンギクが印象的ですね。京都の庭もそうですが、整然とした感じで粋なんでしょうけど、ナチュラルが、京都では恋しかったなあ。 |
hanahhana1952 2006/11/09 00:10 |
トラピスト修道院、トラピスチヌス修道院と二つ有るんですね。私が昔訪れたのはトラピスト修道院でした。トラピスチヌス修道院は知りませんでした。 |
デコウォーカ 2006/11/09 02:44 |
なおさん、こんばんは。夜遅くのコメント有難うございます。お返事遅くなりました。見返るさんは何度見ても威厳がありました。聖フランシスコ・ザビエルは守り神として選んだそうです。なおさんだけでなく、皆世俗がお好きのようですよね。自我の多い私なんか一日も持ちません。朝寝、昼寝大好きな〜ですので。中の質素な暮らしぶりを伺い知る事が出来ないような感じの、随分と観光化された所でしたよ |
なおさんへ 2006/11/09 20:10 |
hanahhana1952さん、こんばんは。0時過ぎの遅くお帰りのところ、コメント有難うございます。>一日のならわしで、今晩は(笑) |
hanahhana1952さんへ 2006/11/09 20:19 |
デコウォーカさん、こんばんは。お忙しい中、コメント有難うございます。 |
デコウォーカさんへ 2006/11/09 20:31 |
一花さん、トラピスチヌ修道院は一度行ったような記憶があります。 |
彦左 2006/11/11 10:02 |
彦左さん、こんばんは。こちらにもコメント有難うございます。 |
彦左さんへ 2006/11/11 22:57 |
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